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Dachau-ダッハウ-

 バイエルン州都ミュンヘンからわずかに北にある街ダッハウ。中世から芸術家の多く住む町として知られ、ヴィッテルスバッハの夏の居城なども建てられるなどして繁栄を見る。

 しかし、この町が最も有名になるきっかけとなったのは、皮肉にも20世紀の第二次世界大戦によるナチスの強制収容所ができたことによるものだった。

 アウシュヴィッツ強制収容所とともにナチの負の遺産として広く知られるようになったダッハウは、現在でもミュンヘン観光の一環として訪れる観光客が多い。

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Dachauの簡単な歴史の紹介-History-

ダッハウ市庁舎

 ダッハウが文献上に登場したのは9世紀初頭。その後は芸術家の町としての歴史を歩み始める。1486年には市庁舎、16世紀にはダッハウ城が築かれ、ヴィッテルスバッハの夏の居城となる。その後17世紀から19世紀にかけて多くの家々が建てられ、現在に至る市街地を形成することとなった。そして、何よりこの町を歴史上有名にしたのは、1933年3月22日に、ナチス最初の収容所としてダッハウ強制収容所が設けられたこと。1945年4月29日の解放までに32,099人という人々が虐殺され、アウシュヴィッツ強制収容所とともに、戦後の負の遺産のひとつとされている。現在ではオーバーバイエルン郡の首都となり、かつての収容所が観光のメインとなっている。

  •  Data

    Dachauのデータ


    人口41,167人(2007年)
    帰属連邦州バイエルン州
    観光名所ユダヤ人強制収容所
    ※ミュンヘン観光の一環とされる
    郵便番号85221
    おすすめ度☆☆☆
    キャッチフレーズナチスの負の遺産
    公式サイトwww.dachau.de
  •   Map

    Dachauの地理

    ダッハウの位置

    ミュンヘンの北西約20km程度の所にあり、西約40kmにはアウクスブルクがある。
     また、旧市街全体はやや小高い丘の上に位置し、低地区には新市街と中央駅などがある。

    GoogleMapを見る

  • Access

    Dachauへのアクセス


    ミュンヘンからSバーンで約20分 (乗換なし)

    ミュンヘンからREで約10分 (乗換なし)



    バイエルンチケットを使用すれば、週末と平日9時以降は、ICEやICなどの特急電車以外であれば、5人まで有効で28ユーロで乗り放題(バスもOKです)ですので大変お得です!1人でも20ユーロです。尚、Sバーンでも20分程度でついてしまうので、ミュンヘン観光の一環として気軽に行くことができますよ。

ここからはDachau-ダッハウ- 旅行記-Reisebeschreibung-
ミュンヘン中央駅からの出発収容所の門

徒然旅行記のコーナー -強制収容所の遺したもの-

 ドイツの様々な町を回っていると、凄惨で非人道的な歴史に直面する機会が幾つかある。第2次世界大戦の爪痕は、それを最もリアルに感じることができる遺産。

 ベルリンに行けば、東西を隔てる壁の落書きに、当時の市民の生々しい感情に触れられることができたり、壁を乗り越えようとして銃に倒れた東側住民の姿が稲妻のように目に入ってくる。

 美しいドレスデンにいても、何だか口惜しい気持ちにかられる。爆撃が造りだしたアベコベの町並み・・・華麗な中世の王都の本来の姿はもうみられない。数万の住民と、数百年続いた景色を一瞬でぶち壊したドレスデン爆撃の爪痕。近年復元されたフラウエン教会の姿が、ドレスデンの町並みを物語っている・・・爆撃で粉々になった石材と、新しい石材で復元されたというその姿は、まさに現在のドレスデンの町並み全体を象徴しているように思えた。

 ケルンやウルムの大聖堂。その尖塔は、建てられた当時のままの姿が今でも残っている。ハイデルベルクやレーゲンスブルクなど、美しい世界遺産で戦災を免れた都市というものも存在する。連合軍の攻撃が及ばなかったのは、その歴史的価値が高いからなのか・・・中には爆撃機の操縦士の個人的感情から守られたという町並みもあるという。それでは、人の命って何なのか。

 バイロイトのやけに整った町並みは、ナチスの本拠地だったために生まれた。連合軍の大爆撃が、この都市の運命を変えることになった。綺麗なようだけど、その整然とした町の姿が、何よりも歴史の爪痕を残しているように思えた。

 それでも、これだけ数々の戦災の跡を辿ってきても、ここほど生々しさを感じることができる場所はないかもしれない。ミュンヘン近郊の小さな町、ダッハウ。ここには、世に悪名高い、あのユダヤ人強制収容所が存在する。

収容者の列

ホロコーストの惨劇

 強制収容所で何といっても有名なのは、ポーランドにあるアウシュヴィッツ強制収容所。その次に有名といえるのがこのダッハウ。現在は当時のごく一部の建物などしか残されていないが、ナチスの犯したホロコーストの惨劇を実感するには余りある場所といえる。

 人種差別的に収容されたユダヤ人をはじめとする多くの人々。ドイツの一部の人間によって埋め込まれた歯車が、彼らの運命を変えた。

 人の数だけ人の人生があり、人生を祝う最期があるべきだと思う。でも、様々な路を歩いていた人々は、強制的に敷かれた死のレールに逆らえず、次から次へとこの場所へと送り込まれた。その数は20万。

 そして、万人の命のエネルギーは搾り出されるように奪われ、無残に葬り去られた。誰だって自分の人生に感謝して逝きたいと思う。でも、ここではそんな感情の扉すら、固く固く閉ざされてしまったのだろう、無念の思いだけが残されている。ここで奪われた命は、3万を超える。

 こう強制収容所について考えていると、ダッハウでは・・・この場所しか旅行の舞台として設定できない。他のものは、収容所という重すぎる存在を天秤にかけた瞬間、僕の中でどっかへ飛んでいってしまった。

生々しい施設内

強制収容所の遺した物

最後に僕が思うこと。


ひとつ。

大切にしなければならないのは、搾り出されて葬り去られたように見えた彼らの命のエネルギーは、まだその敷地内に残されているということ。その無念の中で消えた綺麗な生命のエネルギーを、訪れる私たちが感じ取って、吸い込んでこなくてはいけないと思う。


ふたつ。

ドイツの歴史を見てみると、過去にも似たようなことがあった。・・・中世の魔女狩りだ。教会によって理不尽に裁かれた罪なき人々を多く含む虐殺の歴史。そして、こんな歴史があったにも関わらず、大戦で虐殺は繰り返されてしまった。歴史は繰り返すの?・・・そうあってはならない。


みっつ。

人の人生や運命、生まれや個性を、人が蔑んだりする権利はないということ。人種差別的に生まれた強制収容所は過去の遺産となったが、世界でも日本でも、そして自分の身の回りでも、社会的差別から個人的差別まで様々存在する。それをなくしていき、全てを尊重できる世の中になってほしい。


Dachau-ダッハウ- 旅行記-Reisebeschreibung- おわり

-町の小窓たち-

木立の階段 クリスマス市庁舎 高台の旧市街
収容所入口 収容部屋 収容者の列 この地で

  詳細はフリー写真de小旅行Terminal〜ダッハウ〜でご紹介中です。

-旅行記後記-

強制収容所の碑

 特に留学生の方には、ここダッハウはドイツでも訪れてほしい最も重要な場所のひとつです。どんな意見があるにせよ、自分なりに重く受け止める何かが見つけられるはずです。そして、それは留学生活に大きな刺激を与えてくれるはずです。

 私はこの旅行記を書いた時点では、ナチスやユダヤ人などの社会的背景については詳しくは分からないので、強制収容所を見て、そこで起こった事実から感じたことを素直に書き綴りました。この旅行記をきっかけにして、少しでも多くの方にダッハウを知ってもらいたい、足を向けてもらいたいと思います。

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-町の見所-

 ダッハウにも中世からの旧市街がありますが、見所は何といってもユダヤ人強制収容所跡です。旧市街の位置と収容所は離れており、旧市街も特筆すべきところはあまりないので、とにかく収容所で戦争の歴史を肌で感じてきましょう。

ダッハウ城旧市街の丘の上にある城で、元々中世初期の伯爵家の城塞であったものを1546年から1577年にかけて増築され、バイエルン家であるヴィッテルスバッハの夏の居城として使用されるようになりました。
旧市街全体アンパー川上方の、ダッハウ城があるなだらかな丘の背にあります。現在見られる旧市街の町並みは17世紀から19世紀にかけて造られた家々が並んでおり、1486年に初めて文献上に表されているピンクに染まった市庁舎や、その近くの聖ヤコブ教会などの見所もあります。ちなみにダッハウは中世から芸術家の町として知られていましたが、市庁舎はろうそく職人と菓子職人が所有していたそうです。
強制収容所歴史のコーナーや旅行記中でもご紹介しましたが、1933年にナチスによってドイツ国内で初めて造られたというユダヤ人強制収容所です。強制収容所としてはポーランドのアウシュビッツがたいへん有名ですが、ダッハウ強制収容所も歴史的に有名です。敷地内には戦時中の様々な資料が展示されており、生々しい監獄のごとき部屋や死体焼却炉、ガス室(実際には使われていなかったとも言われています)、刑場などを見ることができます。様々なことを考えさせられるいい機会になるはずです。特に留学されている方などは、ミュンヘンからも近いので、絶対に訪れるべき場所だと思います。

 学生時代に広島などで社会見学をしたときのように、このダッハウは戦争の悲惨さと向かい合ういい機会になるはずです。