中世ハンザ同盟の主要都市として繁栄を謳歌し、『ハンザの女王』と称えられた、北ドイツのたいへん美しい港町。
ハンブルク、ブレーメン、ロンドン、アムステルダム、ブルージュ等、名立たる大都市が参加していたハンザ同盟の本部が置かれたこの町は、現在でもその堂々たる繁栄の名残が伺える。
現在、その中世の町並みは世界遺産として登録されており、当時の栄華を表すような建造物が数多く残されている。
1143年、リューベックはホルシュタイン伯のアドルフによって、ドイツ最初のバルト海における港町として建造された。一旦は火災で焼失するものの、1159年にハインリヒ獅子侯によって再建され繁栄への道を歩み出し、1226年には帝国自由都市となる。そして、1358年にハンザ同盟が発足すると、その盟主となったリューベックは、一時は200都市以上が参加する、経済同盟を支える都市として繁栄を極めた。しかし、17世紀の三十年戦争後にはそのハンザ同盟も終焉を迎え、同時に町も衰退し始める。
それでも、現在では一時繁栄を極めた中世の色濃い町並みが世界遺産に登録され、北ドイツの主要都市としての復活を果たした。
Data
帰属連邦州 | シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州 | 人口 | 211,541人(2007年) |
観光街道 | エリカ街道 |
郵便番号 | 23501-23570 |
お土産 | ホルステンビール |
出身者 | トーマス・マン(ノーベル賞作家) |
おすすめ度 | ☆☆☆☆☆ |
キャッチフレーズ | ハンザの女王 |
公式サイト | www.luebeck.de |
Map
北ドイツ、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州にあり、バルト海に面するリューベック湾の港町。旧市街はそのバルト海へと繋がるトラヴェ運河やトラヴェ川に囲まれている。約55km南西にはハンブルク、約60km北西には州都キールがある。
Access
■ ハンブルクからREで約40分
■ ベルリンからREで約3時間半
(バートクライネンで乗換)
■ キールからREで約1時間10分
■ シュヴェリンからREで約1時間10分
(バートクライネンで乗換)
■ ブレーメンからMEとREで約2時間20分
(ハンブルクでREに乗換)
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州、メクレンブルク=フォアポンメルン州、ハンブルク圏内であれば、週末と平日9時以降は、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン1日券が使えます。ICやICE以外は5人まで有効で30ユーロですのでお得です!
中世の商人たちは、船に乗ってこの町が見えてきたとき、それはそれはその活気と繁栄の姿に感嘆したんだろうなあ。バルト海の覇権を握り、一時西はロンドンから東はロシアのノヴゴロドまでの領域を経済的に牛耳っていたハンザ同盟の盟主。今やそんな権威はないけれど、その遺風だけはある。第二次ハンザ同盟なんてものが一時取りざたされたみたいだけど、もしハンザ同盟が本当に復活するようなことがあったら、またこのリューベックが頂点に君臨する時代が来るのかな・・・なんて思う・・・
この日は、小雨と暴風が吹き荒れる最低最悪の天候。ハンザの女王とどこの王様が喧嘩したのかはしらないけど、とにかく女王のリューベックが暴風という攻撃にさらされているのを目の当たりにして、もう目も開けていられない状態だった。ドイツに留学して、旅行を楽しみにしていた指折りの都市だというのに・・・
こうやって振り返って旅行記を書こうとしても、思い起こされるのはただただ必至に暴風と寒さを堪えていたってことばかり。そして耐えられなくなって次の町シュヴェリンに行ったら更に酷い天候で・・・っていうあまりに残酷な1日だった。
ただ、そんな酷い印象ばかり残っていても、何だか特別な町だって感じがあるっていうのは、ハンザの女王の魔力かなって思う。やはり、中世のバルト海の経済圏に君臨していたという誇り高い気風が旧市街には漂っていて、どんな暴風だろうとこの雰囲気だけは消し去ることができない。もうかつての栄光は去ったけど、そのプライドだけは胸を張って保ち続けているのがすごくかっこいい町だって思える。
そんな暴風との戦いの渦中にある旧市街にいながらも、何とか這いつくばって、「この女王を守り、女王を立てる面々」をこの目に捉えてきた。
義経と弁慶じゃないけど、ハンザの女王の前には、それを守ろうと大手を広げて構える奴がいる。その名もホルステン門。ドイツでもベルリンのブランデンブルク門に次ぐくらいの有名な門で、その堂々とした風貌は圧巻。
そして、そんな弁慶の後ろには、これも女王のお膝元で腕を振るう6騎衆がいる。レンガ造りの美しい塩倉庫たちだ。女王の間に構えるだけに相応しい美しさと気品を兼ね備えている。でも、この中世塩倉庫、本来の役割は塩の交易によって莫大な富をもたらす為に大活躍した建物なのだ。金銀財宝を女王に献上し、女王をここまで美しい姿に変えた彼らの力は大きい。
旧市街南端に建つのは大聖堂。ハンザ女王のお気に障るようなことでもしたのか、大聖堂でありながらこんな南端に追いやられている。でも、大聖堂という名を与えられながらも、それが端っこにあるというのも何とも面白い。逆にそれが、この町の絶対的な力を表しているようにも思える。
そして、その大聖堂のすぐ近くにあるのは中世武器庫。ハンザの女王を守ろうと、この武器を手にとってバルト海を横行するバイキングの海賊達を追いやったのだろうか。
船員組合の家では、たくさんのドイツ人たちが郷土料理を味わっていた。毎日煙突から煙が昇るこの中世からの建物。ハンザの女王の台所とでも言おうか、民衆に笑顔を与え続ける中世からの食文化を伝えるこの場所も欠かせない。
こうしてみると、なんだか女王様って感じだけど、そんなことはない。実は民衆にも温かな手を差し伸べる素晴らしい女王なのだ。旧市街北にある聖霊養老院を見ればそれがわかる。財宝を手にしても、それを私欲に向けるだけでなく、こうした社会福祉施設へと換えた。ここでどれだけの民衆が救われたのか知れない。
こうしたハンザの女王の下では、後に世界にその名を知らしめる偉人も現れた。『ブッデンブローク家の人々』でノーベル文学賞を受賞したトーマス・マン。彼も、この町で生まれた1人。そして、その縁の建物が町の中心近くにある。
中世においても、その女王を拝見しようと多くの偉人が集まる。マリエン教会でオルガニストとして腕を振るった巨匠ブクステフーデは、女王の名誉市民といっていいはず。彼の演奏を聴こうと、はるばるバッハやヘンデルといったバロック音楽の巨匠も訪れた。
そして、ハンザの女王の威厳を何よりも示しているのは、中心に建つ市庁舎。黒褐色という珍しい色合い、これが何とも雰囲気がある。足元がアーチ状になったその建物、その前にある広場から眺めてみると、まさにここが女王の間っていう感覚も受ける。
他にもたくさんある。女王に仕えるこんな素晴らしい面々・・・でも、そもそも女王って何?
リューベックは、別名『ハンザの女王』と言われる。中世ハンザ同盟の中心として君臨し、繁栄を謳歌した美しい町だからだろう。でも、それでもただの都市なので、むろん女王がいるわけではない。町そのものの愛称・・・でも、ここでは見えない何かを女王に立てて、この町を紹介してみました。
見えない何か・・・もしかしたら、この町のマリエン教会の脇にちょこんと座る不可思議な小悪魔の像、その目線の先に・・・その答えがあるかもしれません。
-町の小窓たち- |
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詳細はフリー写真de小旅行Terminal〜リューベック〜でご紹介中です。
この旅行、シュヴェリンの旅行記でもありましたように、本当に酷い天候に見舞われました。これまで多くのドイツの都市を訪れましたが、シュヴェリンとともにワースト1だったと思います。ですので、正直全く町の観光を満喫することができませんでした。ですが、本当に楽しみにしていた町だったので、死にそうな顔をしながら何とか最低限見たかったとこだけに絞って早々に切り上げてしまった感じです。機会があれば、今度は綺麗な写真が撮れるように、暖かい時期にリベンジしたいと思っています。
そういったこともあり、そこまで出すぎた感想を書くのが忍びないのですが、個人的主観と評判をミックスした感じで町のスポットを表現してみました。女王女王ってくどかったかもしれません・・・。
最後に出てきた小悪魔ですが、何であの場にあのように座っているのか、そしてあの表情、本当不思議なんですよね。実際にいますので、観光の際には是非見てみてくださいね。
中世において、ハンザ同盟の中心としてのポジションを保ってきただけに、旧市街の至る所からその風格を感じ取ることができる町だと思います。旧市街は比較的狭い範囲にありますので、観光自体は1日あれば十分だと思います。
ホルステン門 | リューベック中央駅から10分程行くと、水濠で囲まれた旧市街の手前に巨大な門が現れます。これが、1464〜1478年にかけて造られた、ドイツでもベルリンのブランデンブルク門に次ぐ指折りの知名度を誇るというホルステン門です。ユーロ導入の前の貨幣にも描かれていたことからも、それだけ有名だということがわかります。元々は中世ハンザ盟主のリューベック港の防衛の為に造られましたが、現在では内部に市歴史博物館が設置され、観光名所として多くの人が訪れるスポットです。 |
市庁舎 | 黒褐色の重厚な造りが、当時の繁栄と富を現在に伝えるリューベック市庁舎です。元は、ハインリヒ獅子侯から自治権を与えられた1158年からゴシック様式の建物として建造され、以後16世紀頃までに次々と増改築を繰り返し、現在のようなルネサンス様式の姿となりました。 |
マリエン教会 | 1250〜1350年にかけて建てられたゴシック様式の教会で、シュヴェリンの大聖堂とともに、北ドイツで最も美しく最大規模のレンガ造りの教会と言われています。内部には8512本ものパイプをもつオルガンがあり、巨匠ブクステフーデが専属オルガニストを務めていた教会としても有名です。バッハやヘンデルも彼の演奏を聴きにリューベックまではるばるやってきたそうです。 |
聖霊養老院 | 13世紀後半に、中世リューベックの富裕層の市民によって建てられたという社会福祉施設です。中世の豪商や裕福な市民達は多くのこういった施設を建てたようですが、そのうち最大規模の施設が、この聖霊養老院です。5本の尖塔が特徴的な建物です。 |
ブッデンブロークハウス | 『ブッデンブローク家の人々』でノーベル文学賞をとったリューベック生まれの作家、トーマス・マンの祖父母の家です。彼自身も兄のハインリヒ(ドイツでは有名な作家です)とともによく訪れた縁の場所ということで、現在はマン兄弟記念博物館となっています。 |
塩倉庫 | ホルステン門を正面に見て、すぐ右奥ずらりと並ぶ煉瓦の建物は、1579〜1745に建てられたという塩倉庫です。塩の取引によっても多くの富を得たリューベックですが、その塩を保管していた所です。裏にはトラヴェ川が流れています。 |
船員組合の家 | 1535年に建てられたという、中世リューベックの船員組合の家ですが、現在はリューベックの郷土料理が味わえる人気レストランとなっています。ヤコブ教会に向かって建っています。 |
旧市街全体 | これ以外にも旧市街には多くの見所があります。旧市街に一番南にはリューベックの大聖堂があり、その周辺には中世武器庫や自然史博物館があります。また、教会としてはマリエン教会や大聖堂以外にも、聖ペトリ教会、内部が博物館になっているカタリーネン教会、ヤコブ教会などがあります。当時の繁栄を伺わせる建物がたくさんあります。 |
世界遺産になっているだけに、見所がたくさんあって雰囲気のある素晴らしい町ですので、その海洋文化の入り混じった町の空気をじっくり味わってきてください。
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