ドイツで最も有名な観光街道、ロマンティック街道。そして、最も有名な河川ともいえるドナウ河。そのちょうど交差する地点で発展を遂げてきた町ドナウヴェルト。
ロマンチック街道の真珠とも呼ばれ、旧市街には南ドイツで最も美しい通りと言われる「帝国通り」が走る。その町並みは、小さく派手さはないものの、何気ないドイツの町の美しさに溢れている。
アウクスブルク、ネルトリンゲンといった人気の観光地に挟まれて目立たない町だが、穏やかな空気が流れる、温かみのある魅力的な町である。
集落がまとまり始めたのは紀元500年頃。その後1193年には都市権を得、1301年には帝国自由都市となる。中世おいては、皇帝都市のニュルンベルクと、当時商都として栄華を誇ったアウクスブルクの2大都市を中継する町として栄えることとなった。
その後17世紀に勃発した30年戦争の影響を受けて衰退し、18世紀にはシェーレンベルクの戦いの舞台となり、また20世紀には第二次世界大戦により激しい空爆を受けることとなる。このように数々の戦火を乗り越えてきたドナウヴェルトだが、現在では破壊される前の美しい町並みが忠実に再現され、ロマンチック街道の観光地のひとつとして賑わいを見せている。
Data
帰属連邦州 | バイエルン州 |
人口 | 18,245人(2007年) |
お祭り | ライヒスシュトラーセ祭り(7月後半) |
クリスマスマルクト(12月) | |
観光街道 | ロマンチック街道 |
郵便番号 | 86609 |
おすすめ度 | ☆☆☆ |
キャッチフレーズ | ロマンチック街道の真珠 |
公式サイト | www.donauwoerth.de |
Map
バイエルン州中央西部にあり、南北に全長350kmに渡って走っているロマンチック街道のほぼ中間点にあたる。また、東西に流れるドナウ河の中継地点でもある。また、旧市街のすぐ外側で、ヴェルニッツ川とドナウ河が合流しており、これらの河川による小島も市街地に含まれる。
Access
■ ミュンヘンからREかRBで約1時間半
(アウクスブルクで乗換)
■ ニュルンベルクからREで約1時間20分
■ シュトゥットガルトからREとRBで約2時間25分
(アーレンで乗換)
■ ヴュルツブルクからRBとREで2時間15分
(トロイヒトリンゲンで乗換)
バイエルンチケットを使用すれば、週末と平日9時以降は、普通電車(RE/RB)とバスであれば、5人まで有効で28ユーロで乗り放題ですので大変お得です!1人でも20ユーロです。
爽やかな風が、百の緑の間を駆け抜ける。それを恨めしそうにもくもくと膨れて見下ろす雲。そして、そんなやきもちの表情に苦笑いをするお日様。「あっちいってろよ」、「どけったら」なんて言葉の応酬が上空で飛び交ってる。仲の良い太陽と雲のくせに・・・
でも、ふくれてる雲もばつが悪そうに、でもなんだか嬉しそうに時々どいてあげる。そして、顔を覗かせたお日様に微笑み返すのが、地上で笑う百草たち。舞う風に踊る木々たち。優優と気持ちよさそうに流れる川の水たち。そして・・・彩りに囲まれた通りで笑顔に溢れる人間たち。
ドナウヴェルト。かつては神聖ローマ帝国の皇帝都市として権威を放ったニュルンベルク、商都として栄華を極めた黄金のアウクスブルクの2大都市を結ぶ行路にあり、交通の要所として発展した。そして、現在ではレジデンツの華やかなヴュルツブルクから、ノイシュヴァンシュタイン城の構えるフュッセンまでを結ぶロマンチック街道の中間点。更には・・・東西には音楽の都ウィーンや壮麗な王宮都市ブダペストを抱えるドナウ河までもが流れている。
なんだか、いつの時代も光彩を放つ都市の間に挟まれて、目立たない存在。でも、この町は自分の有り方を知っている。どこにでもあるはずの緑、雲、水や太陽と仲良くすることを、ここまで知っている町って・・・きっと少ないのかもな・・・。
俺は裕福な銀行家の1人息子として、小さな頃から贅沢な生活に寝そべって生きてきた。何ひとつ不自由はなかった。それもこれも、毎日のように誠実に働き、自由な時間もほとんどなく、あくせく駆け回っていた親父のおかげだ。
親父は趣味でヴァイオリンも弾いていた。金を動かす親父の奏でる旋律は、いつしか多くの人の心までをも動かし、マスコミまでも大きく動かし、もはや家よりテレビの中で見ることのほうが多くなっていた。それでも、ほんのわずかな空き時間を作っては、「川に遊びに行こうよ!」という小さな俺の手にひかれて笑顔を見せてくれたものだ。そんな親父のことを、俺は誰よりも尊敬していた。
その一方で、母親はいたって地味だった。ある小さな村の教会の塔のヴェヒター(管理人)の娘として育った母親。そんな母親は父親と出会い、結婚し、父親とは違っていつも俺の傍にいた。優しくて大好きだったけど、テレビで見るかっこいい父親への憧れの方がずっと大きく、彼女との思い出なんてあまり残っていない。たまに出かける家族旅行も、俺はいつも父親に飛びついて離れなかった。でも、母親はそんな父子の姿をいつもちょっと離れたところで微笑んで見てくれていた気がする。
そんな母親に連れられて、たまに登った教会の塔。見下ろしたら町中が見渡せるあの景色、子供心にすごくはしゃいだ。母親との、唯一鮮やかに思い出せる記憶かもしれない。
父親の活躍は絶頂、世間も騒々しい、そんなある日のことだった。父親の事業が失敗し、我が家が音を立てて崩れ始めた瞬間がついに訪れてしまった。たくさんのスポットライトが当てられた舞台に立っていた父親、その親父の人生の舞台裏で控えていた俺、照明は全て落とされ、真っ暗闇の中にもがき苦しむ生活が始まった瞬間だった。今までの光があまりにも強かったために、もう真っ暗で何も見えなかった。そして、それに追い討ちをかけるかのように、更なる不幸が襲ってきた。母親が病に倒れ、その聴力を完全に失ってしまったのだ。幸い命は救われたものの、世間への視覚と聴覚を失った我が家に希望は失われた。
「幸せな人間が奏でる音楽こそが幸せを呼ぶの・・・?不幸な人間が奏でる音楽は不幸を呼ぶの・・・?」
そんなことがはるはずない!俺は、あれだけ多くの聴衆を魅了したはずの父親の音楽が、世間から『不運の音楽』という烙印が押されてしまったことに、完全に失望した。やりきれなさに涙までも失った。金を動かす父親は完全にいなくなった。それでも・・・
「金なんてなくたって、人の心だけは動かすことができる」
って常に言い続けていた。ヴァイオリンを奏で続けた。恨みの声にうなされ苦しみながらも、音楽を奏で続けた。寝たきりの母親を看病するためにも、音楽を奏で続けた。でも、かつて頂点を見た父親は、地に落ちた現実を受け入れられなかったのか、いつしか家庭からも姿を消してしまったのだった。
そして、あれから5年が経った。一家三人で暮らしてきた町を後にし、今はこの町の一間で母親と二人でひっそりと暮らしている。レストランでバイトをしながら、休みの日には市壁伝いの小川の傍らで、こうやってヴァイオリンを弾いている。
俺はよく、耳の聞こえない母親にヴァイオリンを聴かせようとする。聞こえるはずのない母親が微笑んでくれる。きっと、弾いている俺の姿を見て微笑んでくれるのだろう・・・。世間に認められない音楽でも、せめて母親の耳さえ聞こえれば・・・母親だけでも感動してくれただろうに・・・。頬を伝う涙がひりひりする。
俺には、父親が残した「金なんてなくたって、人の心だけは動かすことができる」って言葉が耳にこびりついて離れない。いつかあの頃の親父のように、世間の奴らを感動させてやるって。
鐘が鳴った。聖母教会から鳴り響く鐘の音に、今日も一日が始まる。・・・その時、ふと気づいた。母親が部屋にたったひとつある小窓から外を眺めている。そういえば・・・いつも町の鐘が鳴る時間に、こうしていつも微笑んで外を眺めているのだ。そういえば・・・どこかで聞いたことがある・・・。
「耳が聞こえなくても、教会の鐘の音ってわかるらしいよ。難しいことはよくわかんないけど、何か体に振動が伝わって聞こえるんだって。」
いつか耳にした、そんな言葉が心の耳に聞こえてきた。「もしかして・・・」はっとして、もう一度窓の外を見やる母親の顔を見ると、俺が奏でるヴァイオリンの時に見せる表情とは全く違って見えた。祈るような・・・幸せそうな表情がそこにはあった。
あの塔に登ってみよう。小さな頃、母親に連れられて登って以来、町は違うけど初めて自分で登ってみようって思った。あの時は母親におんぶされて登ったっけ・・・。今日は218段ある石の階段を1人で登る。あの時、母親はどんな思いでこの俺を背負って塔の上まで行ったんだろう・・・。
そして、塔の上まで登って、小窓から町を見渡した。・・・あのとき感じた気持ちが新鮮に蘇ってくる。このこじんまりとしたドナウヴェルトの町全体の姿を初めて目にした。俺がいつもヴァイオリンを弾いている市壁沿い・・・すぐそこに見える。空から見ると、俺をいつも苦しませてきた世間が、なんだかすごくちっぽけに見えた。
・・・その時再び鐘が鳴った。
すぐ傍で耳にする鐘の音。いつも町で聴くのと違ってびんびん体に響いてくるものがある。「うるさいな・・・」と思ったとき、何年もの月日を重ねて埋もれていた記憶の壁が崩れ、目の前に懐かしい声が蘇ってきた。今はもう聴くことのできない、懐かしい声が聞こえてきた・・・。
「鐘の音って不思議でね。こうやって鳴らすと、いつまでもいつまでも体に響くのよ。町でこれを聴いている人の体にもね、すーっとこの音が響いて吸い込まれていくの。そして、この鐘をもう一回鳴らすとね・・・さっき町の人に吸い込まれていった音と共鳴して、一斉にお空に響きだすのよ。町の人みんなの心が響いて、町がひとつになる瞬間なの。お母さんはいつもこの響きを聴くのが大好きでね、こうして教会の塔に登っているのよ。それにね、ここからは町が全部見渡せるでしょ。綺麗な町でしょ。私は、あなたにこんな当たり前の景色の中に、たくさんの人の心の響きを聴けて、たくさんの幸せを見つけられる子になってほしいわね。」
あの時は何を言っているのかよく分からなかった。まるで独り言のように話す母親にきょとんとしていた。今になって響く母親の声。失われたはずの優しい母親の声、俺の体の中にいつまでもいつまでも響いていた。
当たり前の景色の中に、たくさんの人の心の響きを聴けて、たくさんの幸せを見つけられる・・・川べりに寝そべって空を眺めている俺の頭に何度も交錯する。そして、その時何かが吹っ切れた。
父親の背中を憧れ続けていた俺。一度見てしまった極みを知ってしまうと、足元にある幸せなんて感じなくなるもんなのかな。大きなものを動かそうと俺もやってきた。こうして道端でヴァイオリンを弾いていれば、きっとどっかのスカウトが声をかけてくれるんじゃないか。通りの人がいくら置いていこうが、それはただのはした金にしか見えなかった。こんな小さな町のひとりひとりの幸せなんてどうでもよかったのだ。俺の音楽に耳を傾けてくれる人の存在に気づかず、ただ世間にたくさんの感動を与えることを追い求めていた。でも、周りに幸せを感じてくれる人が少しでも増えていけばそれでいいじゃないか。周りで見ていてくれる人を大切にして生きていこう!
そこにあるはずの当たり前の幸せを感じることができる人、それこそが幸せ。認められなくたって、陰になろうが、素通りされようが、自分の周りにいてくれるたくさんの存在を人一倍大切にできる、それを知っている人こそが、それを誇りにできる人こそが一番幸せなんだって、俺は今そう思えるようになった。そしたら、なんだか自分はすごく幸せに思えてきた。でも、同時に悔しさもにじんできた。「金なんてなくたって、人の心だけは動かすことができる」って言っていたはずの親父に、どうしてこの声が届かなかったのか。いや、届いていたのか・・・?どうしていなくなってしまったのか・・・。
「母さん・・・もし、俺と父さんの人生がまた交わるときがきたら、父さんは俺をあの塔の上まで連れて行ってくれるかな・・・」
・・・
「おい兄ちゃん。また聴かせてくれよ。」はっとして起きると、そこにはよく俺の演奏を聴きに来てくれるリートのカフェのおじさんが立っていた。そのとき、俺ははっきりとこう思った。
「俺はずっとここでいい。でも、将来はやっぱりライヒス通りの祭りで舞台に立てるくらいにはなりたいな。そして、百の緑の間を駆け抜ける爽やかな風のように、人の心の彩りを爽やかに駆け抜ける人間になりたい。そして、ドナウヴェルトの鐘になりたい。」
長いのか短いのかという感じですが、全て読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。物語というより、何となく自伝みたいな感じですが、素人なので構成とかの細かい点についてはご容赦下さい・・・。(ちなみに、俺というのはもちろん私とは全く関係有りません。)もし宜しければ、どんなことでも結構ですので、ページ下から一言コメントを残していただけたら幸いです。宜しくお願いします。
幸せの有り方は十人十色ですよね。色々感じられると思いますが、私にはこんな幸せの形も素敵だなって思います。
また、コンセプトとして、町を物語にして観光場所などを織り交ぜながら話を作っていますので、こんな形でもドナウヴェルトを紹介できればって思っています。
ドナウヴェルトは大戦の戦火を猛烈に被った町のひとつです。そのため、中世そのままに維持された建物というのは少ないですが、南ドイツで最も美しいとされる帝国通りをはじめとして、数々の観光スポットがあります。また、旧市街の外側に流れるドナウ河やヴェルニッツ川、緑の美しい散策路、中州の小島などは非常に落ち着きのある雰囲気が流れ、ゆっくりとドイツの町の美しさを感じとることができますよ。華やかさには欠けるものの、その穏やかなたたずまいは一見の価値ありだと思います。
リーダー門と市壁 | 旧市街の手前に流れる川に沿って残されているのが、ドナウヴェルトの住居と一体化した大きな市壁です。この市壁に沿って散策路があり、非常に心の和む綺麗な情景を目にすることができます。 また、中央駅方面から旧市街に入るときに出迎えてくれるのが、ドナウヴェルトにあった4つの大きな市壁門のうちの唯一現存するリーダー門です。現在のデザインとなったのは1811年のことで、1945年の大戦では戦災に遭って破壊されてしまいますが、翌年に忠実に復元されました。現在では、川に架かる橋から旧市街への入口として、鮮やかなピンク色の綺麗な姿を取り戻しています。 |
ライヒスシュトラーセ | ライヒス通り、帝国通りなどとも言われ、ドナウヴェルトの旧市街を貫く目抜き通りです。南ドイツで最も美しい通りとも呼ばれ、現在でもかつての繁栄をうかがわせるような、通りに沿った鮮やかな街並みを目にすることができます。中世においては、帝国都市のニュルンベルクとアウクスブルクを結ぶ通りとして重要な存在でしたが、現在ではヴュルツブルクとフュッセンを結ぶロマンチック街道の中間点とされています。 |
市庁舎 | ライヒス通りの突き当たりにあるドナウヴェルト市庁舎ですが、最初に建造されたのは1236年です。その後2回の火災などで焼失しましたが、現存する形で新たに建てられたのは1853年のことです。また、市庁舎の前には1854年に建てられた、ネオゴシック様式のマリエンの噴水があります。 |
タンツハウス | ライヒス通りの中ほどに位置し、紀元1400年頃からダンスホールとして使われ続けてきた赤ピンク色の鮮やかな建物です。この歴史的建造物も、残念ながら大戦の爆撃で破壊されましたが、現在ある建物は1973年から75年にかけて建てられました。今では劇場ホールとして市民の交流の場でもあり、博物館、レストランなども入っています。 |
聖十字架教会 | 起源は、11世紀のベネディクト教会にまで遡りますが、現在のような聖十字架教会となったのが1125年のことです。外観については、教会が1717〜1720年、塔が1747年に現在のような形となりました。 |
ドナウヴェルト聖母教会 | ライヒス通りの市庁舎とは反対側の坂の上の方にあるのが、1444年から1467年にかけて建造されたゴシック様式のリープフラウエン教会(聖母教会)です。その塔は、「シュヴァーベン地方の見張りの塔」とも呼ばれ、その鐘はシュヴァーベン地方で最も大きいものとなっています。現在でも聖母教会はドナウヴェルト市民に非常に愛され、ウィーンにおけるシュテファン教会と言われるほどに慕われています。ちなみに、独創物語で出てくる教会はこの教会のことです。 |
リートの小島 | ドナウ河とヴェルニッツ川が合流し、旧市街の手前でまた一時的に川が二手に分かれます。その中州ともいえるような島が、リートの島です。この島から架かる橋にリーダー門があり、旧市街へと入っていきます。かつてはここを居とした漁師などにより、町の発展がなされたともいいます。現在では、カフェなどが並び、市民の集う場でもあります。 |
ドイツの日常を垣間見れるような生活感のある町ですし、変に観光都市化などをしておらず、そのままの魅力を感じ取ることができればいいと思います。旅行プランとしたら、ネルトリンゲンなどと一緒に回ってみるのがいいかもしれません。
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